「行動の原点にあるもの」
人の行為のすべては《見る》ことから始まる。
それは視力を失っていても同じだとある盲目の音楽家の言葉からも感じた。
つまり何を、どのように見るかで、どのように《考える》かが決まる。
見方が適正であれば、思考は賢明になされ、的を外れていれば、考えは狂っていく。
賢明な思考は、適切な《判断》をもたらし、的を外れた思考からは、愚かな判断しか出てこない。
適切な判断は、状況に即した《行為》を生み、愚かな判断から生まれた行為は、自らを破壊する。
人生の悲喜劇のすべては、こうした経緯をたどって展開するのだ。
それは歴史的な大事件から、市井のちっぽけな犯罪に至るまで同じだ。
それらのすべては《見る》ことから始まる。
ちなみに、悟りに至る方法論の最初に、《正見》を挙げたのは釈尊であった。
『すこーれ -豊水-より』