「イジメ問題に思う」
イジメは喧嘩と違う。
喧嘩は、力の差が近接してこそ成り立つものだ。
強者が弱者を襲う喧嘩をイジメというのではないか。
大津市の事件で、教師たちがイジメを喧嘩だと強弁していたモラルの欠如を思う。
執拗なイジメを繰り返す加害者の心は、正常な精神を失っていることが多い。
家庭で痛めつけられ、追い詰められた心の傷を、他人を害することで癒そうとする歪んだ行為だ。
人間の価値は、弱者とどのように接するかで決まる。
弱者を痛め、もてあそぶのは人間として最下等の行為だ。
弱者をいたわり、優しく接する文化を育てることで、サル科の動物は尊厳な人格を備えた”人間”となったのだ。
子どもから大人への成長する過程は、まさに動物が”人間”に成長する歴史的体験の再現である。
それだけに親と教師の役割の重要さは、どんなに強調されても過ぎることはない。
ただ一つ、加害者や学校側を批判するだけの世評に言いたい。
それは、子どもの自殺は親との心の断絶の表明でもあるということだ。
イジメが自殺の動機ではあっても、真の原因であるか否かはよくよく究明しなければならない。
『すこーれ10月号、豊水』