諭吉っつぁんの話・・・鎖国下、唯一日本と交流し続けたのはオランダ。
故に、福沢諭吉も緒方洪庵の「適塾」で蘭語を学び、開国後、蘭語を実践しようと横浜へ行くと何もかもが英語・・・・。
チンプンカンプンの諭吉は「一体、いままで何を学んできたのだ」と深い絶望感に陥ったそう。
が、諭吉はへこたれず、今まで習った蘭語を「惜しいが全部捨てよう。
そして改めて英語を学ぼう」と決断した。
諭吉のこの“決断の時“が、英語の日本導入を促し日本の近代産業発展に大きく寄与した・・・・。
つまり、過去”自分が培ってきたもの”や、”既得権益”が、時代の流れにそぐわなくなった時、それを”思い切って捨てられる“かどうか。
これが、変革期における発展の分岐点になるっちゅうことですね(^^)
「男の器量」童門冬二/三笠書房より