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Posted by たまりば運営事務局. at

アインシュタインの言葉

アインシュタインの言葉

『イマジネーションは知性よりも勝る』

その意味は「覚醒すると境界線がなくなり、意識が自由に創造することができるようになる」

自己知覚の状態ですと、好きキライなどの判断する意識があり、覚醒の状態だと、嗜好が消え、判断することもなくなるといいます。

全てのものがつながっている、喜びの状態、光明を得る状態なのでしょうね。

全てのタイムラインの統合の状態、過去から言われている「悟り」と同じことなのでしょうか。

  


  • Posted by TOTO. at 2011年12月25日11:20

    新しいミカンの皮むき

    ミカンの皮むきも楽しいものです。お時間のある方は試してみてください。
    新しいミカンのむきかた -結構簡単!

    動画:
    http://www.youtube.com/watch?v=CVHF0J8XOKM&feature=player_embedded
    (音無し。1分24秒)

    小学館のオフィシャルサイト
    http://www.shogakukan.co.jp/pr/mikan/


    あちこちで大評判の本と。Amazonでは…

    あたらしいみかんのむきかた [単行本]
    http://amzn.to/ta7C0K

    あたらしいみかんのむきかた 2 [単行本]
    http://amzn.to/vqTCJ3

    正月に家族揃って…という「絆」パターンのネタですネ!(^^;。

      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月24日13:34

    ベンチャーへの敷地50年間無償貸与

    <<NIKKEI BP NET 財部誠一の「ビジネス立体思考」>>2011年12月13日より

    ■日本のベンチャーを誘致する韓国、育てられない日本
     2011年12月16日、ダブルスコープというテクノロジーベンチャーが東証マザーズに上場する。リチウムイオン2次電池のセパレーターの量産に成功したベンチャー企業だ。12月決算の同社は2010年決算で売上高16億8618万円、経常利益1億2490万円だったが、今年大きく飛躍した。2011年12月期決算では、第3四半期までで売上高24億9192万円、経常利益8億5144万円。売上高は倍増の勢いできている。横浜市での設立から6年目にして上場を果たすことになった。
     リチウムイオン電池はもはや私たちの生活から切り離すことができない。携帯電話やデジカメ、モバイルPC等々の電子機器の電池はほとんどリチウムイオン電池だ。グリーンテクノロジーの象徴、ハイブリッド車やEV車(電気自動車)にもリチウムイオン電池が搭載されている。
     ダブルスコープが生産しているセパレーターは、素人の目には巨大なサランラップにしか見えないが、高分子フィルムの微多孔膜が電池の正極材と負極材を隔離しつつ、正極と負極間のリチウムイオンの伝導性を良くする。一方で、電池の異常な発熱を防ぐ安全機能も備えている。過去に多くの大企業がチャレンジしながらなかなか実現できなかったハイテク製品だ。
     2009年にダブルスコープの工場を取材したことがある。工場は本社のある神奈川県ではなく、なんと韓国だった。ソウルの中心部から車で3時間くらい走った梧倉科学産業団地(Ochang Scientific Industrial Complex)のなかにある。
     韓国政府が高い技術をもった外国企業の誘致に積極的だったことは有名で、ダブルスコープのような設立間もないベンチャー企業に対しても破格の条件を与えていた。

    ■工場の敷地は50年間無償貸与
     ダブルスコープの工場を目の前にした時の驚きはいまでも忘れられない。工場の建屋の3倍から4倍はあると思われる、広大な空き地が目の前に広がっていたからだ。じつはこの空地、将来の事業拡大のためにと、韓国側が用意してくれていたものだという。韓国政府が日本企業を初めとする外国企業を誘致するために法人税を免除したり、工業団地の土地使用料を一定期間タダにしてくれるという話は有名だが、拡張用の土地まで無償で貸してくれていた。
     リチウムイオンニ次電池用セパレーターは全世界でもごくわずかな企業しか量産できない、複雑な工程を要する製品だ。ダブルスコープのフィルム技術の発展可能性も高い。それを見込んだ上での好条件だったのだろう。 現在、梧倉科学産業団地にある工場の敷地面積は7万6000平方メートルで、15ラインまで増設可能となっている。土地の賃料は「外国人投資地域入居契約」により、原則として50年間無償だ。また2005年の設立から2013年まで現地の子会社は韓国での法人税の支払い義務が免除。免除期間終了後も2014年と2015年は法人税の支払いの2分の1が減免される。2016年以降は通常通りになるが、それでも韓国の実効税率は22%だから、日本と比べれば半分だ。
     ベンチャー企業にとってこれほどありがたい環境はなかっただろう。日本では上場確実となると資金提供を申し出る連中が山ほど出現するが、技術と志だけで持ちこたえているアーリーステージのベンチャー企業に資金支援してやろうという土壌が日本にはない。

    ■リスクマネーを提供した株主
     いかに素晴らしい技術のシーズを持っていても、それを製品化して収益を生み出すまでのプロセスをいかにして切りぬけるか。リスクマネーの存在なしに、アーリーステージの突破は不可能だ。工場を建設し、生産設備をとりつけ、出来上がった製品を販売して代金を回収するまで、ベンチャー企業は企業としての体をなしていないのだから。
     ダブルスコープには起業当初から神奈川県のTNPパートナーズというベンチャーキャピタルが支援し続けた。だがダブルスコープの技術が初めから評価され、株式公開が確実だったわけではない。社長の崔元根はホームページの「トップメッセージ」のなかでこんな記述をしているので引用する。「私たちがセパレータを開発し生産しようとした時、多くの専門家は私たちの成功を信じてはいませんでした。それは、当時、莫大な投資と多くの人材を擁して挑んだ多くの大企業も成功しなかった分野だったからです。しかし、私たちは成し遂げました。この結果はお客様、株主様からの信頼、ご支援以外の何ものでもありません」
     ここでいう「株主」とはまさにリスクマネーの提供者たちだ。本当にものになるのか、ならないのか。そのぎりぎりのところで、彼らのテクノロジーを信じてアーリーステージを支えてくれた資本があったからこそ、今日のダブルスコープがある。

    ■乱立した特区は成果を生み出したのか
     しかしあらためて痛感するのは、ベンチャー育成を国中で騒ぎたててきた日本社会のリアリティのなさだ。本気でベンチャー企業を生み、育てたいと考えるなら韓国に負けないベンチャー育成の環境を整えればいい。だが残念ながら、日本は絶望的だ。
     例えば小泉政権以降、日本は「特区」ブームとなった。全国に山ほど特区ができたが、その成果を私は聞いたことがない。日本では作ること自体が目的化し、中途半端な特区が乱立した。しかも結果の検証は一切ない。
     世界でも希少なリチウムイオン2次電池のセパレーターの量産技術を確立したダブルスコープを育んだのは神奈川の独立系ベンチャーキャピタルと韓国の投資優遇措置だったといっていい。
     土地7万6000平方メートルを50年間、無償貸与。2005年の創業から2013年までの8年間、法人税も免除だから、その気になれば稼いだ利益のすべてを研究開発費にも設備投資にも回すことができる。創業まもないベンチャー企業にとってこれほどありがたい措置はないだろう。
     その他の租税減免措置もあるうえに、外国の投資家には投資金額の5%以上の現金支援をするといった優遇措置もある。日韓のどちらで生産した方が合理的なのか。その差は歴然だ。12月7日、東北の被災地再生のための復興特区法が成立した。だがそこには世界から東北に直接投資を呼び込もうという大胆な発想はまるで見えない。グローバルな視点に立った特区構想をぜひ追加してもらいたいものだ。

      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月20日12:57

    知と愛そして……

    知と愛そして……
    通常、心の営みを高めるのは
    知と愛の対話に他ならない

    しかし、それだけで
    現実に対応するだけの
    知恵と実践は生まれない

    現実に向き合う知と愛の営みに
    強いエネルギーを与える
    もう一つの営みがある

    それは勇気だ

    勇気とは行動する力のことだ

    勇気のない愛は、同情に止まる
    勇気のない知は、批評と解説しか生まない

    愛は勇気を持ちえてこそ
    人に手を差し伸べる行動を生み出す

    知は勇気を携えてこそ
    世に立ち向かう果敢な知恵と化すのだ

    ―『すこ~れ』今月のことば(豊水)より―  


  • Posted by TOTO. at 2011年12月19日15:42

    坂の上の雲より

    NHKの【坂の上の雲より】
    印象に残る言葉・・・「明治維新までは、戦争は武士の命を犠牲にしましたが、明治に入り、人々は自由平等を謳歌できる見返りに、庶民も戦争で死ぬと言う代償を払うことになった。国家の成立は、福祉のみを与えるものではなく、その代償も求められるものであった。」そんな感じの言葉でした。
    素晴らしいですね。
    今の日本人は、平等や公平、福祉を求めていますが、その代償を払うことなど考えているのでしょうか?
    日本が100年先にも国家として残れるのかどうか、心配になります。
      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月12日12:34

    キエフ国立フィルハーモニー交響楽団

    6日、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団のドヴォルザーク交響曲「新世界より」とチャイコフスキー交響曲「悲愴」を聴いて来ました。
    撮影禁止なので休憩時間の舞台(武蔵野市民文化会館大ホール)です。

      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月07日11:15

    三百年の黒松

    浜離宮恩賜庭園
     この地はもとアシの生い茂る将軍家鷹狩の場でしたが、承応年間(1650年代)に甲府宰相松平綱重の別邸となり庭園として造成され、甲府殿浜屋敷又は海手屋敷と呼ばれました。その後、綱重の子綱豊が六代将軍家宣となるに及んで名を浜御殿とし、大いに改修が行われ景観を整えました。園内には茶屋・鴨場等を設けるなどして将軍家の行楽や接待の場としてもちいられ、又江戸城の出城としての役目をもっていました。
     明治維新後宮内省所管となり、以後浜離宮と改め、迎賓・謁見の場として大いに利用され、皇室の観桜会もしばしば催されました。昭和二十年には東京都に下賜され翌年より一般公開しています。
     本園は、広大な池泉に海水を導き、潮の干満によって庭趣に変化をもたせた潮入りの回遊式築山泉水庭で、不幸にも関東大震災や太平洋戦争により建物や多くの樹木を焼失しましたが、お伝い橋のかかる潮入りの池や鴨場等に往時の面影を残しており、江戸時代に発達した大名庭園を代表する貴重な文化財となっています。
    庭園内にある都内最大の黒松(12月4日撮影)

      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月05日13:53

    血液型はA型B型C型だった。

    血液型といえば、まず思い浮かぶのが性格診断や&相性占い。
    ○○型は性格が細かい、△△型は××型と相性がよいなどは話のネタにもぴったりで、会話に困った時の「血液型話題」は、意外と盛り上がりを見せることもありますね。でもそれ以外の血液型のことは、案外知られていません。

    オーストリアのランドシュタイナー博士によって、血液に型があることが発見・分類されたのが1901年。
    この世紀の発見によって輸血による事故が激減し、彼はのちにノーベル賞を受賞しています。
    博士は当時、血液型をA型・B型・C型の3つに分類しました。そう、血液型は最初、文字通りABCだったのです。
    ところが、翌年にAとBを併せ持つ「AB型」が発見されたため、AとBのどちらの特徴も持たない「C型」を「0(ゼロ)型」と改名します。
    しかし「オー」と「ゼロ」の区別がつきにくく混乱、1927年にO(オー)型に統一されました。
    ABがあってCがなく、なぜOなのかについては、こんなエピソードがあったのです。

    また、輸血の際に注意する必要があるもうひとつの血液型が「Rh式」、RhプラスとRhマイナスがあります。
    日本人でRhマイナスの人は0.5%で、白人の15%と比較すると少ないのがわかります。
    日本人で一番少ない血液型はAB型なので、さらにRhマイナスの人となると、2000人に1人という計算です。

    気になる血液型性格診断は、日本では1927年に教育者の立場から血液型と性格について論文を発表したのが最初だったと言われています。
    血液型の発見から110年、その働きや健康面、献血など、血液本来のことに思いをはせる機会をつくってみてはいかがでしょう。

    ※参考:大阪府赤十字血液センター http://wanonaka.jp/
    血液の話Q&A  http://ketsueki.doremi3.com/
    メディカルiタウン http://medical.itp.ne.jp/
    メルクマニュアル18版 http://merckmanual.jp/mmpej/index.html

      


  • Posted by TOTO. at 2011年12月01日18:51